しばらくは実家がらみのブログになると思います。
うちの弟の話です。
自分より出来がいいことはわかってました。
中学から私立に行ったので。
でも、違ってました。
ラベルが。
あ、違う。レベルが。
桁違いでした。
どのくらい違ったのか
まず自分はと言うと、良くも悪くも、それなりって感じですね。
自分でそれなりって言うのも変ですけど。
公文に通い、塾に行き、公立中学から市内にある一応の公立進学校に通って、一応国立大学へ。
全部一応とかつけちゃった。
一方弟。
県内トップの私立中高一貫校に通い、現役で旧帝大。
高3の時の進路面談で、東大受験も勧められたが、絶対に浪人はしたくないとのことで受験せず。
え?
東大受験も勧められた?
聞いてないけど。
そんな話、今まで一度も聞いたことないんですけど。
まじかよ。
そんなレベルだったとは。
少しへこみつつも、これはネタになると思い、色々話を聞いてきました。
大学受験について
先ほど書きましたが、三者面談で東大受験も勧められたそうです。
でも浪人はちょっとねーという本人と母親の希望もあって、受験はしなかったそうです。
で、旧帝大と言われるうちの一つを受験するわけです。
模試を受けると、センターの方はいつもC判定とかだったらしいです。
でも二次の方はA判定。
で、トータルだとA判定だったって言うんです。
ちなみに滑り止めに受けようと思っていた私大、以前ブログで取り上げた、自分が目標にしている塾の先生に相談に行ったそうです。
そしたら「そんなとこ受ける意味ないやろ」と言われたらしく、滑り止めなしで受験したそうです。
滑り止めなしの受験です。
ちなみにその私大、自分は滑り止めに受験しました。泣
高校の授業
高1数学の最初、展開、因数分解に関しては、授業を受けた記憶がないと言ってましたね。
課題とかで大量に出されて、自分でやって来いみたいな感じだったらしいです。
もちろん授業は高校2年でほぼ終了。
高3の1年間は大学入試対策みたいな一年間。
ま、これは進学校であれば当然と言えば当然ですね。
そういえば、数学の難しい問題を、放課後教室に残って、黒板に問題を書いて、みんなで考えてたこともあったなんて言ってましたね。
とにかく、勉強はやって当たり前みたいな雰囲気はあったんだろうと思います。
子どもの頃
読んでる人も、こっちのほうが気になるんじゃないかと思うんです。
もっと昔はどうだったの?ってことの方が気になるんじゃないかと。
もっと小さいころ。
弟の勉強は主に祖父母が見てました。
両親共働きだったため、祖父母が弟にいろんな事を教え込んでましたね。
自分もそこそこ教え込まれましたけど、長男だったのもあり甘やかされたんだと思います。
弟の方が、厳しくされてました。
ひらがな
幼稚園の入園式?説明会?の時に、幼稚園の先生が、「黒板にお絵かきしていいよ~」って言ったそうなんです。
子どもたちが思い思いによくわからんぐちゃぐちゃ書いているところに、うちの弟。
何を思ったか、
それいけアンパンマン
ってデカデカと書いたそうです。
漢字
「小学生になるんだから、自分の名前くらい漢字で書けないと恥ずかしい。」と言って、小学校に上がる前には、名前を漢字で書かせていたそうです。
ちなみに、フルネームで漢字4文字、総画数は42画です。
九九
弟、トイレの大に入ると30分くらい出てこないんです。
いまだにそうなんですけど。
そのトイレの目線の先には、手書きの九九の表が書いてありました。
これもまだ幼稚園の頃です。
日本地図
日本地図はパズルで覚えたみたいでしたね。
都道府県の形にピースがなってるやつです。
これも幼稚園の頃でしょうか。
結局大切なのはやらせること
うちの祖父母はとにかくやることをどんどん与えてました。
漢字でも九九でもなんでも。
そのうえ、できるようになるまでやらせてました。
1回でできなければ5回、10回。
1日でできなきゃ、1週間、1カ月。
そんな感じ。
塾に通わせる時には、学校から直接塾へ送り届けたりもしてました。
両親だけではできなかったかもしれません。
こうすれば正解なんてことは何も言えません。
でも、今回実家に帰って、家族と子供の頃の事を話をしたら、やっぱり子どもの自主性に任せて、なんてことを言ってても、何もできるようにはならないんじゃないかなってことに行きつきました。
子どもの学力と、家族が子どもにどれだけ関心を持って育てるかっていうところには、絶対に関わりがあると思っています。
子どもに勉強頑張ってほしいんなら、しっかりと関わってくださいね。
と、自分にも言い聞かせてみる塾長でした。